所在地 | 〒136-0071 東京都江東区亀戸3-34-2 | |
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交 通 | JR 総武線/錦糸町駅 徒歩15分 東京メトロ半蔵門線・都営浅草線・京成押上線・東武伊勢崎線/押上駅 徒歩10分 都バス/錦糸町駅前より日暮里駅前行き「横川3丁目」 徒歩5分 都バス/上野松坂屋前より平井駅前行き「十間橋」 徒歩3分 |
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開 創 | 應永2年 (西暦1692年) | |
本 尊 | 聖観世音菩薩 |
由来:龍眼寺の在る亀戸三丁目は昔亀戸柳島と言われ、應永2年良博大和尚が「柳源寺」を開き、後に「龍眼(げん)寺」(年月不祥)と改められた。
良博大和尚は千葉出身で、比叡山での修業を終え帰国途中、柳島で一夜を明かされたが、夢に観音菩薩が現れ、「この堂の下に汝の守るべき御本尊と村の守護神となるべき天祖の御神体を授かるであろう」とのお告げがあり、翌朝観音菩薩像と天祖の御神体を拝授し一心に祈願したところ、当時村に流行していた悪疫が一掃され、村人の求めにより一寺を建立「柳源寺」と名付けられ、本尊観音菩薩は出世・厄除観音として病気平癒や災難除けとして信仰を集めている。御神体は天祖神社にまつられている。又中興元珍は元禄の頃、全国より萩を集めその数、数百株に及び現在の2倍以上も広い境内には蓮池も有り、秋ともなれば萩が咲きみだれ、文人墨客が集まり歌や句を詠んだり漢詩を作ったりした。賑わいの模様は「江戸名所図会」「江戸砂子」にも書かれ、広重の「江戸百景」にも描かれ、「萩寺」として有名になった。芭蕉の「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」の句碑や大納音宗長卿の「ききしより 見る目ぞまさる此の寺の 庭に散りしく萩の錦は」の碑、孝子白菊で有名な落合直文先生の「萩寺の萩おもしろし露の身の おくつきところ こことさだめむ」の歌碑など多くの歌や句が残されている。
現在は明治43年、大正6年の大水害・関東大震災・昭和の戦災等で萩も大部分無くなり戦後わずかに生き残った株を根分けして増やしたものである。
本堂は聖徳太子の夢殿を模した八角堂で、「八正堂」と称している。
○亀戸七福神 布袋尊
布袋像は七福神で唯一実在の人物であり、一年中参拝者が多い。
○地蔵尊
子育地蔵尊として参詣有り。
○庚申塔
万治2年(1629)区内で発見されているもののうち最古のもの。
春彼岸入りの日 | 春季彼岸法要 |
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5月1日 | 大施餓鬼法要 |
7月7日 | お盆供養法要 |
秋彼岸入りの日 | 秋季彼岸法要 |