所在地 | 〒110-0007 東京都台東区上野公園14-5 | |
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T E L | 03-3821-4050 | |
交 通 | JR 山ノ手線・京浜東北線/上野・鶯谷両駅 徒歩5分 | |
開 創 | 明暦2年 | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
東京で唯一の門跡寺院である。正保4年(1647)の9月に、東叡山に来られた、後水尾天皇の第3皇子、一品守澄法親王は、承応3年(1654)には正式に東叡山主の座につき、次いで、翌明暦元年には天台座主ともなられて、東叡、比叡、日光の三山を兼帯された。世に言う「三山管領宮」の始めである。更に、翌2年の11月26日には、守澄法親王に対し、「輪王寺宮」の称号が勅賜された。ただ、正確に言えば、江戸時代には輪王寺という寺は存在しない。上野は寛永寺であり、日光は満願寺であって、その両山の山主が輪王寺宮という訳である。言い換えれば、輪王寺という名は、宮様個人の称号で、寺号ではなかったのである。
しかし、戊辰戦争の結果、最後の輪王寺宮、十五世公現法親王が還俗されたため、輪王寺の称号は一時中絶の止むなきに至った。
やがて、これを惜しんだ、東叡、日光両山からの要請により、明治16年(1883)にこの両山に輪王寺という名の寺が再興され、二年後には門跡寺院としての再興を許されたのである。
ただ、現在の輪王寺は、東叡山の開山、天海大僧正を祀る開山堂と同じ境内に在り、この開山堂には慈眼大師天海大僧正自身が尊崇していた慈恵大師良源大僧正(元三大師)も合せて祀られているため、一般には両大師として知られている。この両大師に対する信仰が如何に盛んであったかは、「甲子夜話」をはじめとする江戸時代の地誌や絵画によって裏づけられる。
なお、本尊阿弥陀如来は平安期の木彫立像、慈眼大師像(都重宝)は木彫極彩色の坐像、慈恵大師像(区有形文化財)は南北朝時代の由緒ある画像である。