所在地 | 〒130-0001 東京都墨田区吾妻橋1丁目22番14号 | |
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T E L | 03-3623-4849 | |
交 通 | 地下鉄銀座線/浅草駅 東武鉄道/浅草駅 徒歩10分 都営地下鉄浅草線/本所吾妻橋駅 バス/リバーピア吾妻橋 徒歩5分 |
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開 創 | 嘉祥2年 (西暦849年) | |
本 尊 | 如意輪観音 |
如意輪寺は、通称の牛島太子堂の別当にあたります。嘉祥2年(849)、比叡山四祖慈覚大師円仁(794~864)が入唐求法から帰って、故郷の下野国(栃木)大慈寺への道すがら、聖徳太子自作の太子像を安置したことに創まると伝えます。
牛島の地の太子堂として通称が生まれましたが、伝わった太子像は像高2尺4寸5分(74.24㎝)、長屋門の中、石鳥居の正面宝形造の太子堂に祀られてあり、堂前には拝殿跡らしい礎石がありました。その右側に別当如意輪寺の建物がありました。
『葛西志』には、「往古の今の小梅村水戸家御蔵屋敷(今の隅田公園)の辺にこれあり。村開闢よりの堂なりといへば、古くよりのものなるは論なし。当所へ移りしその年暦は伝えざれども、寛文二年(1662)梓行の江戸名所記に中の郷太子堂とのせたれば、是よりさき移りしはしらる」とあって、現在地への移転の時期がわかります。
『葛西志』では、中の郷元町に、東向きに北から、天台宗一道寺(長勝寺)、真言宗の愛染堂、そして太子堂と並んでいたとし、太子堂の西隣には、仏立講(本門仏立宗)の清雄寺が並んでいました。
大正12年(1923)の関東大震災で灰尽に帰し、区画整理もあって現在地に落ちつきました。その際、太子像と如意輪観音像が失われ、現在は如意輪寺本堂に、縁を得て勧請された美しい如意輪観音と、中興の住職が刻んだ孝養太子像が合祀されています。
明治維新までは上野寛永寺末、その後、成就寺(江戸川区逆井)末となりました。
『江戸名所記』には、文禄年中(1592-5)太子堂近くに光りが発し、弥陀三尊の種子を記した板碑が出土し、これを供養するとその怪異が消えたと出ています。残念ながらこの板碑は現存していません。
現在は、リバーピア吾妻橋と名のる高層ビル群の東側に位置して、昭和32年(1957)建立の本堂と、その南側に平成10年(1998)完成の寺務客殿棟という配置からなっています。また墓地入口側に、納骨堂をかねた阿弥陀堂一宇があります。
○墨田区登録有形民俗文化財 六面塔
延宝6年(1678)4月13日銘
区内から発見されている最古の六面塔であり、六面それぞれに地蔵像が陽刻してある。
○牛島太子堂鳥居扁額
関東大震災まで立っていた石鳥居扁額。水戸徳川家臣 雪斎の銘がある。
○石仏・石塔
首都高速6号線建設により、源森川川口水上署交番安置のものと、町内出土のものを墓地入口に安置。
○阿弥陀堂
墓地入口側にあり。納骨堂。
○寺報・布教紙
寺報「如意輪寺のお知らせ」12月、4月「菩提寺だより」部内同人と発行7・12月
○葛西三十三所観音参 第2番
『東都歳時記』附録出。元禄年中浄清記
■年中行事
1月7日直後の日曜日 | 新年写経会 |
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5月第3日曜 | おせがき会 |