所在地 | 〒112-0006 東京都文京区小日向2-17-6 | |
---|---|---|
T E L | 03-3942-9781 | |
交 通 | 地下鉄有楽町線/江戸川橋駅 3番出口より徒歩3分 都営バス/石切橋または江戸川橋 徒歩5分 |
|
開 創 | 寛文年間 (西暦1661~72年) の初めごろと推定される | |
本 尊 | 大日如来 (胎蔵界銅座像) |
国立国会図書館所蔵の当院の大日如来略縁起に依れば、往昔慈覚大師が入唐帰国のおり、この大日如来像(像高3寸5分)を将来されたと伝えられています。元亀元年(注:正しくは2年)織田信長の叡山焼打ちの際、尊像自ら厨子より飛び出し琵琶湖を越え江州蒲生郡の森に難を逃れ、夜な夜な光を放っていたところを、藤氏某その光を尋ねて、この尊像を我家に安置して一心に供養され、我に一子を授け給えと祈願した処、願いがかない一女を授けられました。
この女子は成長するに従い、才色優れて前大納言源頼宣に召され、宮仕えする身となりました。かかる折いかなる罪業のなす故か、緑の黒髪が突然絡み合って全く梳(くしけず)ることもできない姿にもだえ悲しみ、父より譲り受けた尊像に対し一途に祈るさなか、この本尊夢の中に告げ申すには、汝過去の悪行によりこの怪しき病を得たり、この業転じ難し、早く尼となりて解脱すべしと。夢覚めた女子は随喜の涙にむせび即座に剃髪し法名を浩禅尼と称し、当院開基の尼上人となりました。なお、尼上人の法名は墓石には浩善尼となっています。
開祖は生前中に当院の本寺、上野の護国院の開祖風山生順の弟子、空山玄順に跡を譲り、玄順は堂宇を整え山号寺号を定め漸く寺らしくしたとのことです。
当院は当初より祈願寺として信仰を集め、信者も多く毎月八の日のご縁日に、近くの商店の揃った水道町通り(案内図参照)へ多くの露店が列り大層賑わいました。現在では露天は出ませんが、ご縁日の八の日には多くの信者の方が参詣しています。