寺院紹介

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熊野山父母報恩院 常行寺(正式名称:常行三昧寺)


 
所在地 〒140-0004 東京都品川区南品川2丁目9番18号
T E L 03-3471-8773
交 通 京浜急行線/新馬場(南口)または青物横丁駅 徒歩5分
バス/東急バス 渋谷41系統 (渋谷~大井町) 南馬場 徒歩5分
開 創 嘉祥元年 (西暦848年)
本 尊 阿弥陀如来

常行寺は京浜急行「新馬場」と「青物横丁」の間、旧東海道に面している。京浜急行「北品川」から「青物横丁」にかけてのおよそ2㎞ほどの間には28もの寺院があり、その多くは江戸幕府の命により集められたものである。江戸の東海道入口という要所にあたり、そこを守る軍事目的、あるいは府内の都市計画による府外への移転といったことによるもので、常行寺ももとは東大井4丁目、今の立会小学校、区立大井公園付近にあったとされる。
常行寺の正式名称は「常行三昧寺」。慈覚大師円仁様が父母の恩に報いるために常行三昧を修する目的で建立した寺である。大師が横川中堂を建立された後、母の病重きを知り、平坦な東海道を急ぎ故郷の下野へ向かう途中、品川大井村で母の死去を知らせる使者に出会い、その地にて堂を造り常行三昧を修して母の冥福を祈られた。熊野山父母報恩院常行三昧寺と名付け、村人達にも彼等の両親の菩提を弔うよう説いた。これが常行寺の開基で、大師が使者に会った嘉祥元年(848)10月16日を開山の日としている。
長保年中(1000?)恵心僧都源信様が住職をし、武蔵国、相模国に500ケ寺余りの末寺があったと伝えられている。
その後、次第におとろえ鎌倉時代になると若干の寺領のみになった。戦乱の文安元年(1444)から大永6年(1526)までは住職もなく、わずかに寺号が存するのみになってしまったといわれる。当時この付近は足利持氏と品川氏の合戦の場になっていたと伝えられている。
大永7年實海僧正が旧蹟の絶えていることを嘆いて再興された。これによって實海僧正をもって中興の開山としている。
慶長の頃までは相当の寺格があったが、東叡山草創の後はその末寺となった。
承応2年(1653)幕府の命により静尊が、大井より品川のこの地へ移した。
宝永年中、および享保年中数回に渡り罹災、諸書物等焼失している。
現在の本堂は享保年間(1716-1736)に再建されたものと伝えられている。
常行寺の隣には城南小学校があるが、これは北品川の品川小学校に対抗し、南品川地域の住民が立ち上がり、常行寺の本堂と大師堂を使用して第二中学区第八番城南小学校として明治7年(1874)に開校したものである。そのため常行寺は城南小学校の前身となっている。

■年中行事

1月1日 修正会
1月14日 慈覚大師会
3月 春彼岸会
4月8日 仏生会
5月9日 施餓鬼会
7月 盂蘭盆会
9月 秋彼岸会
10月16日 開山会
12月31日 大晦日法要