所在地 | 〒111-0042 東京都台東区寿町2丁目6番地3号 | |
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T E L | 03-3841-8935 | |
交 通 | 地下鉄銀座線/田原町駅 徒歩5分 | |
開 創 | 江戸初期~現在地へ寛永12年 (西暦1635年) 5月移る | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
常福寺は、弘前藩・津軽家の菩提寺として開創されました。
御曲輪内龍ノ口に本堂・不動堂並びに稲荷社等を造立し、清瀧山不動院常福寺と称しました。
その後、津軽家の意向により、芝口御門、慶長16年8月に八丁堀、寛永12年5月に浅草へ移転し、現在に至ります。
弘前藩2代藩主の津軽越中守信牧は、慶長12年(1607)幕府から家督相続を許され、天海大僧正の弟子となり改宗。天台宗に帰依して常福寺を建立し、天海大僧正の弟子・本祐を開山としました。
信牧は寛永8年正月14日卒。戒名「津梁院殿権大僧都徳山寛海」。常福寺に埋葬されました。
後に本祐は上野に隠居し、その庵室はやがて寛永寺の建立に際して一院となり、信牧の戒名にちなんで「津梁院」と号し、天和元年に当山墓地から津梁院殿が改葬されました。
以後、弘前藩主は津梁院へ葬られましたが、常福寺はゆかりの寺院として重きを置かれました。
藩の窮状を諫言し倹約による財政再建への道を開いた「救世の名臣」津軽多膳貞升の墓が今も残ります。
また、慶応3年官軍が日光山を攻略せんとした折、輪王寺と和睦が成立し、焼き討ちを中止した時の参謀山岡鐵舟が常福寺第16世水月庵僧正(当時日光一山桜本院住職)に贈呈された扁額「水月庵」が伝わります。
ご本尊の阿弥陀如来は、関東大震災、大東亜戦争等、幾多の災難を免れて参りました。
関東大震災の折には、寺庭子女が大八車にご本尊を載せて上野の山を目指しましたが、押し寄せる人波と迫る炎にやむなく途上に置いて避難しました。落ち着いてからその場に戻ると、奇蹟的にご本尊がそのままあり、かくして常福寺のご本尊は、いかなる危難も乗り越える阿弥陀さまとして祀られています。
また、「不動院」と号する当山は、浅草寺の南西に位置するため、浅草の観音さまの裏鬼門を守護する要であり、厄除け・方位除けに威力ある不動明王と日光・月光菩薩を伴う三尊形式の薬師瑠璃光如来も祀られています。
都会には珍しく緑あふれる庭には、四季折々の花がいつも咲き、境内はビルの谷間にやすらぎを感じさせる清楚な浄域を成し、法燈が日々輝いております。
3月春彼岸會中 | 檀信徒春彼岸會法要 |
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4月8日 | 花まつり(釈尊降誕會) |
5月5日 | 大施餓鬼會三界万霊供養 |
7月盆會中 | 盂蘭盆會精霊供養 |
9月秋彼岸會中 | 檀信徒秋彼岸會法要 |
正月・5月・9月 | 不動尊祈願 |