所在地 | 〒196-0032 東京都昭島市郷地町1丁目13番3号 | |
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T E L | 042-541-0443 | |
交 通 | 青梅線/西立川駅 徒歩20分 | |
開 創 | 文禄元年頃 (西暦1592年頃) | |
本 尊 | 薬師如来 |
元和、寳暦と両度火災に罹り資料もないため由緒不詳である。その後二十世瀬沼宥勝代の昭和35年頃本堂の屋根を麦藁葺から瓦葺にし、昭和44年に庫裏を改築し、昭和48年に観音堂を移築し、境内が整備された。
寳積寺の位置は南に多摩川があり、西に富士山が見える高台にある。昔は周囲は田と畑であり、農村地帯でありましたが、寳積寺と多摩川の間にバイパスが出来るにおよんで、急激に都市化された。農村地域における先祖代々を供養する事を中心とした宗教意識が、どのように変化して行くか関心のある所である。
著名人のお墓としては、鈴木俊一元東京都知事の両親のお墓がある。
○俳人不老軒轉の墓
郷地の寳積寺境内に俳人不老軒轉の墓あり。轉は本名を伊八、郷地の生れにて豆腐を商い、風雅の道を好む。餘技に作りし短冊を玉川浮木摺と稱して名高し、短冊の表に木理をすり、裏に雲母を引きて風流なり、太田蜀山人など之を愛用せりと云う。轉に月廼野露草雙紙と言う著書あり。郷地宮崎博充方に其の原本を有す。轉は嘉永6年正月94才にて歿す。
轉には次の様な話しもある。
或る雪の日蜀山人が尋ねて来た時、轉は豆腐を作っていたが、即座に
我家は豆腐のはこで穴だらけ 霰のような雪がふりこむ
と答えたと言う。
辞世の句 望なき身にはことしの夢もなし
4月8日 | 花祭り |
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7月16日 | 施餓鬼会 |
観音堂 |
他所から移築したもので、七観音が安置されている。