祇園寺は天平年間満功上人に依って開かれ、当初は法相宗でしたが、平安期に入って天台宗に改宗し現在に至っています。
その間種々興亡があり、無住の時代も永く続き廃寺寸前に追い込まれた時もありました。その為に当山の歴史を示す資料は殆ど散佚してしまいました。
「多摩の歴史をさぐる」の中で著者大久保清次氏は「ここは全くの別天地の感がある。昔そのままの清浄幽邃な聖域とでも謂いたくなる、背筋がぞうと寒くなるような古寺である。」と数十年前の様相を述べています。
それでも近世になると「武蔵名勝図会」「新篇武蔵風土記稿」「江戸名所図会」等にしばしば当寺の名が載るようになります。
明治41年中西悟玄師が来住、その年の9月12日、自由民権運動殉難者慰霊大法要を催し、板垣退助初め自由党の領袖千余名が甲州街道を馬車を連ねて参集し、慰霊祭後大演説会を開き、その時の記念に赤松の苗木2本が板垣退助の手に依って植えられ、現在も自由の松と称えられ天空高く聳えています。中西悟玄師は野鳥の研究家として高名な中西悟堂師の師僧、伯父に当り、入寺以前は世界各地を駆け巡り、当山住職になってからも政治活動のかたわら「週間多摩新聞」の発刊、青年会の組織指導、三多摩地区農家への養豚の奨励等幅広い活動を行いました。尚中西悟堂師も10代の多感な一時期をこの祇園寺で過しています。
本堂は昭和53年に建立、本尊阿弥陀如来立像は故澤田政廣先生が文化勲章受章記念として自から作製寄贈されたものです。
薬師堂は享保年間の建造物でしたが平成17年2月13日改築、薬師三尊は行基菩薩の作で秘仏です。お前立は恵心僧都作といわれ、江戸から明治にかけて毎月12日の縁日には生姜市で大いに賑わったといわれています。閻魔堂は桃山時代の遺構を残す建造物でしたが平成21年12月12日改築、中央に閻魔大王、両脇に十王が向き合ってまつられています。
1月1日 | 初詣 大晦日~元朝3時甘酒接待 |
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1月4日・5日 | 年始廻り |
1月16日・8月16日 | 閻魔まつり |
4月8日 | 潅仏会 甘茶接待 |
7月13日~15日 8月1日・8月14日 |
棚経 |
7月20日 | 門伏護摩 |
8月6日 | 施餓鬼会 |
9月12日 | 薬師大祭 |
12月冬至 | 星祭 |
毎週日曜 | 午前6時 読誦会 |
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第2、第4日曜 | 午前6時 写経会 |
第2、第4火曜 | 午後1時~3時 時御詠歌研修会 |
第1、第3土曜 | 午後7時~9時 時舞踊研修会 |
○札所
ふる里関東路、百八地蔵尊霊場めぐり 百壱番
関東九十一お薬師霊場めぐり 拾番
調布七福神めぐり 福禄寿
○文化財史跡
寺宝 弘法大師筆跡心経壱巻
鉄仏僧形八幡菩薩坐像
澤田政廣作 阿弥陀如来立像