所在地 | 〒110-0011 東京都台東区三ノ輪2-14-5 | |
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T E L | 03-3801-6328 | |
交 通 | 地下鉄日比谷線/三ノ輪駅北口 徒歩1分 | |
開 創 | 南北朝期 (14世紀) | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
東京で最も交通量が多いといわれる昭和通りと明治通り、この二つの道路の交差する大関横丁の交差点のすぐそばに永久寺はあります。
永久寺の歴史をひもときますと遠く14世紀南北朝騒乱の頃とされます。ただ当時は真言宗のお寺で名称も唯識院と呼ばれていたようです。このことは當山の板碑に書かれているのですが、板碑のいたみが激しくそれ以上詳しいことが判読できないのが残念です。その後の歴史の流れの中でいくたびか戦乱などによって焼失し、再建を繰り返してきました。時には道安和尚という高僧によって諸堂伽藍が整備され、名も白岩寺と改められ、禪閣として隆興をきわめたこともあったようです。また寺院名も時に大乗坊さらに蓮台寺と変遷を重ね、宗旨も先にあげた真言宗から禅宗そして日蓮宗と移り変わってきたようです。
江戸時代に入って、出羽の羽黒山の圭海という行者さんによって天台宗の寺となります。さらに寛文年間、幕臣山野嘉右衛門、号して藤原の永久という方が、諸堂を再建し境内地も拡張・整備され、寺院名も永久寺と改められ、中興の祖となられました。
泰平の世となった寛永年間(1624~43)の中頃、東海道など五街道が整備されますと、街道の道中安全を祈願することが幕府によって命じられました。その時、上野寛永寺の天海大僧正の発願によって江戸府内の由緒ある古刹が五色不動として五街道沿いに定められました。その際、南北朝以来の古刹であり、また日光街道(今の昭和通り)に面した永久寺が目黄不動尊として指定されたのでした。
ここに南北朝以来の古刹は天台宗目黄不動尊永久寺として大成したのでした。
現在の永久寺は、大関横丁の交差点のすぐそばですので、時に自動車の騒音につつまれることもありますが、一歩山門を入りますと樹齢一千年を越える松の木が、御仏と共に訪れる人を静かに迎えています。
南北朝期 | 板碑二体 |
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運慶作 | 阿弥陀如来像 |
慈覚大師御作 | 不動明王像 |
智證大師御真筆 | 不動尊一幅 |
山野嘉右門所蔵 | 太刀 (刃渡り三尺五寸) 槍 (刃渡り二尺八寸) |
1月28日 | 護摩供養 |
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5月1日 | 大施餓鬼会 |
5月28日 | 護摩供養 |
9月28日 | 護摩供養 |