所在地 | 東京都東久留米市神宝町 | |
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交 通 | 西武池袋線/東久留米駅(東口) バス/東久留米団地行き宝泉寺前 徒歩1分 |
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開 創 | 不詳 | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
宝泉寺の由来については明らかではなく明治28年の社寺調書に「承和5年慈覚大師の開基と伝う」とあるだけです。
また、新編武蔵風土記には、「宝泉寺は除地1段2畝外に山林2段、村の北にあり天台宗入間郡古尾谷村潅頂院の門徒、本堂7間に4間南向、本尊阿弥陀如来の立像にて長2尺許、開山開基不詳」と記されています。
現在は境内中央に本堂と庫裏、本堂にむかって左手に宝泉寺会館(薬師堂)が建っています。山門の前には六角地蔵、六地蔵、子育地蔵等の石仏が並んでいます。
宝泉寺に現存するもので一番古いものは、文永5年(1268)5月作の不動明王像があります。
また宝泉寺墓地の工事中に発掘された板碑の古いものは明応4年(1495)の年号で阿弥陀三尊梵字と永春禅尼の戒名が刻まれたものがあります。
市の文化財に指定されている板絵弁財天は村内の別の場所から明治の神仏分離で本尊だけ宝泉寺に移されたものですが東久留米七福神としてお正月には、たくさんの信者さんの参詣があります。
薬師堂の本尊薬師如来は元禄3年(1690)作の記録があります。
薬師堂は昭和51年に萱屋根の葺き替えをしましたが、カラスの被害甚大で屋根の管理が困難になりましたので、平成16年に宝泉寺会館、薬師堂として建替えました。
門前の子育て地蔵は嘉永2年(1849)の作ですが昭和42年には都教育委員会主催の石の地蔵展に三越本店屋上までお出ましになっています。
宝泉寺は先代住職が昭和14年に着任した当時は、武蔵野の真っ只中という風景で純粋な農村地帯でした。空は天の川がはっきり見えるのどかな農村でした。
その農村が昭和30年代後半から大きな変貌を遂げ、東京のベッドタウンになるとともに、宝泉寺も、庫裏、本堂、山門、塀と改築を行い、その景観を一新しています。
1月1日~3日 | 初詣 修正会 |
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3月中日 | 彼岸中日法要 |
4月8日 | 花祭り |
5月母の日 | 地蔵様総供養 |
8月11日 | 施餓鬼会 |
9月中日 | 彼岸中日供養 |
12月31日 | 除夜祭 |
その他 | 御詠歌の会、水子供養等 |