所在地 | 〒110-0002 東京都台東区上野桜木1丁目5番3号 | |
---|---|---|
交 通 | JR 山ノ手線/上野駅下車 徒歩10分 | |
開 創 | 承応元年 (西暦1652年) | |
本 尊 | 薬師如来 |
寛永寺が徳川家によって創建されると、有力大名は競って上野山内に、将軍家の法要参列のための装束着替所としての寺院を建立しました。これらの寺院は子院(宿坊)と呼ばれ、その数は三十六坊にも達しましたが、圓珠院もそのひとつとして、承応元年(1652)に建てられました。開基檀家は長州(萩)藩第二代藩主毛利綱廣公であり、現在の東京国立博物館の後側に位置する寛永寺第二霊園のあたりに建立され、境内地は約3,000坪でありました。そして延宝8年(1680)四代将軍徳川家綱公の霊廟である厳有院廟を造営することになり、その用地となったため現在地(東京芸術大学音楽部横の上野桜木一丁目)に移築されました。ところが元禄10年(1697)に火災で全焼しましたが、直ちに長州藩第四代藩主毛利吉廣公によって旧来のように復興されました。しかしながら幕末の戊辰戦争の結果、明治政府に寛永寺境内が上地され上野公園となるや、圓珠院境内地も縮小を余儀なくされ、現在は350坪ほどになっています。しかし山門である総欅造の薬医門はそのまま現在も残され、創建当時の面影を今日に伝えています。