所在地 | 〒136-0071 東京都江東区亀戸6-35-23 | |
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T E L | 03-3681-7264 | |
交 通 | JR 総武線/亀戸駅 徒歩10分 都営新宿線/大島駅 徒歩10分 |
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開 創 | 慶長2年 (西暦1597年) | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
自性院は、江東区亀戸6丁目に所在するが開創当時は本所の中之郷成就寺内にあった。
寛文2年(1662)横川堀敷として、現在地に替地を賜わり寺院ならびに稲荷社を移した。元禄5年(1692)に寺を再建し、正徳3年(1730)日光御門主大明院宮公弁法親王の命書により成就寺の末寺と定められた。
○開基
三部大阿闍梨 隨円法印(慶長2年入寂)
権大僧都大阿闍梨 誠阿法印中興開山(享保3年、1718年入寂)
自性院にとって中興開山の誠阿法印は欠かすことのできない重要人物である。
俗姓は市村竹之丞で芝居の市村家の座元に生まれた。とくに天性の美男であり、しかも芸能に秀で世にその名は広く知られていた。
若年の頃より仏法を信じ、出家の志深く、壮年に至れるも妻を迎える心なく、座元の大夫の職を甥に譲り、縁を求めて自性院で出家した。のちに比叡山の安住院に住み、そこで本格的修行を積み、一山において誉れ高かった。自性院にもどっては日夜念佛三昧の日々を送った。更に苦心の末本堂を建立した。誠阿法印の時代は自性院という名称だけであったが、自分の父親(三代目)の顕松院の法名を山号として、修行した比叡山の安住院に倣って安住寺と名づけた。
また誠阿法印は芝居の繁盛を願って稲荷社を建立した。現在の山門入口にある稲荷社がそれである。
○役者寺と呼ばれた自性院
誠阿法印は三代目市村羽左衛門の甥で俗姓市村竹之丞といい、市村座座元の四代目を継いでいる。
しかし若い時より仏教に帰依し、自性院へ通うことを楽しみとしていた。23の頃ついに自性院で出家得度を決意し、延宝7年同座で西行法師の狂言を最後として舞台より笈(書籍を入れて運ぶ箱)を背負って入山した。
○宝筺印塔
自性院には永享7年(1435)3月19日の宝筺印塔がある。その高さは60㎝ほどの小さいものであるが、塔身には宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿閃如来の四仏の梵字が彫ってある。
台石には、悦堂、永享七乙卯、三、十九、の十字が刻してある。石材は秩父の青石を用いてある。この名塔は江東区内において最古の遺物であるため、両国の江東博物館にレプリカが置かれている。
江東区重要文化財。
宝筺印塔 |