所在地 | 〒110-0001 東京都台東区谷中1-6-27 | |
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交 通 | JR 山手線/日暮里駅南口 徒歩7分 地下鉄千代田線/根津駅 徒歩7分 |
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開 創 | 寛永17年 (西暦1640年) | |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
金嶺寺は慶長16年(1611)神田北寺町に境内地を拝領し、慶安元年(1648)には幕府の命により、他寺院と共に当地に移転しました。
『御府内備考』に、「開山は天海僧正にして寛永17年庚辰(1640)の起立といふ、江戸鍛冶の司某の開基なり」と記載されております。又同書に「本堂には恵心僧都作の本尊阿弥陀如来木像、不動堂には慈覚大師作の不動尊像、如意輪観音堂には同じく慈覚大師作の如意輪観音像がまつられている」とあります。
天海僧正は鍛冶職の開基に因み、当山を「倍増山・寶城院・金嶺寺」と名付け、境内に金物に感謝し繁栄を願う「関東一社金山大権現社」を勧請されました。『縁起』(宝暦6年(1756)―版木現存)には、「鍛冶職だけでなく、士農工商いずれの人々も『金気金物』無くしては身を立てることはできない。また権現様は八万四千の随類、九億十万の眷属を従え、天変地異や世の安泰を司る霊験あらたかな神である。よって金山権現様は貴賎貧富の別や衆寡孤独等を問わずに病苦厄難を退け、開運繁栄をもたらす万人に等しい神様である」とあります。階級意識の厳しい江戸時代にあっても、万人を救わんとする仏教思想は生きています。
西国三十三観音霊場の巡礼は、最古の歴史と伝統がありますが、享保年間(1716~36)にその西国に模して江戸三十三観音霊場ができました。当山は上記の如意輪観音様をまつっておりましたので、西国の三十一番札所である「近江長命寺」になぞらえて、第三十一番札所となりました。本堂正面の大柱に、「三十一番」の札が今でもひっそりと掲げられております。
明治になり、戊辰戦争で一山は烏有に帰し、諸堂の貴重な仏像も古記録と共に焼失してしまいました。その後寛永寺一山の常照院から本尊阿弥陀如来像をお迎えし、明治27年には関係寺院や檀家の尽力によって、本堂が再建されました。関東大震災の被害による本堂修理の際には、外陣は椅子席とし、いち早く現代化を図っています。
○年中行事
施餓鬼会 5月母の日
○珍しい塚
髭塚
髭塚と鮮やかに彫り込まれた下に
「散る花の中に一本桜かな 得知」
幸堂得知(明治の劇作家) 著書に「幸堂滑けい譚」「黄表紙百撰」。没後、その髭を埋めて塚を建てた。
○墓地に眠る著名人
高田 實(俳優) 川上音二郎と共に新劇を起こし、その後新派の重鎮となる。
原 ひさ子(女優)
北爪 有卿(書家)
山上 桐原(儒家)