福聚山慈眼院正観寺は文禄癸巳年(1593年)浅草・浅草寺の中興であった忠尊和尚によって開かれました。正観寺そのものについては、江戸幕府が発刊した地誌「新編武蔵風土記稿」に次のような記述があります。
同宗(註・天台宗)浅草東光院ノ末 福聚山 慈眼院ト号ス
本尊阿弥陀、 傍ニ観音アリ 地蔵堂
本尊ノ外 弥陀ヲモ置リ 共ニ石像ナリ
また、開基の忠尊和尚については、明治10年に作られた公文書「寺院明細簿」に
東京府下武蔵國葛飾郡請地村92番地
芝崎町東光院末
文禄癸巳二年 開基 忠尊和尚也
と書かれています。
忠尊和尚は北条氏の臣である伊丹氏の出自で、伯父である浅草寺観音院の忠豪和尚の弟子となり知楽院(のちの伝法院)の第2世住職となっています。また、江戸城内の紅葉山東照宮の別当にもなっており(元和3年1617年)さらに日光山輪王寺観音院の開基でもありました。また後に日光山護光院住職の吉田諶祥和尚が、正観寺第18世住職として転住しております。吉田諶祥和尚の努力により歴代住職の系譜が判明しております。
創建当時からこの附近は低地であったため、数知れぬ水害にあったということです。さらに関東大震災、昭和になってからは東京大空襲にみまわれ、寺宝、古文書等はすべて灰燼に帰してしまいました。
戦後、第22世玄道住職は、昭和39年に本堂を再建し、昭和50年には庫裡を建立して、現在の境内を整備しました。第23世玄明の代に入ると、写経を半永久的に納められる写経塔が建立されました。こうして正観寺は開創400年の節目の年を迎えました。
平成6年、開創400年の記念事業として、山門、山道、本堂、庫裡の改修および記念出版として「正観寺史」および「生活の中の仏教語」が上梓されました。
平成19年には、永代供養墓「久遠廟(くおんびょう)」が完成しました。堂内は大きく外光を取り入れて明るくし、また空気の換気を常に行い居心地の良い空間になっています。平成23年には第24世に玄秀が晋山しました。平成24年スカイツリーが開業し、押上は一大観光地になりました。その中で正観寺は木々にあふれ、四季折々の花が彩りをそえる静かなる環境を保つよう心がけております。