所在地 | 〒140-0011 東京都品川区東大井3丁目21番25号 | |
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T E L | 03-3761-3087 | |
交 通 | 京浜急行/立会川駅 徒歩5分 | |
開 創 | 明治15年日本橋蛎殻町 明治25年5月現在地に移転 | |
本 尊 | 大聖歓喜天 |
大福生寺は俗称土佐山聖天、現在に至り大井聖天と呼ばれ、東叡山寛永寺住職實観大僧正の法裔、宇賀神實海大僧正が目黒不動瀧泉寺を退き、隠居の寺として大福生寺を当時の日本橋蠣殻町に建立し、初代住職となる。
本尊の大聖歓喜天は千有余年前、第四代天台座主慈覚大師円仁入唐帰朝の折、将来してきた霊像である。その後駿河国総持院創立以来永く安置せる所、京都盧山の超空上人の霊喩により付属し、その後も享保年間に妙法院門跡圓恕大僧正がこの歓喜天像を感得し、数星霜妙法王府の霊殿に安置しており、歴代の皇室御尊崇も浅からず、近くは明治天皇大病の際、天台座主に病気平癒の御下命あり。比叡山の常楽院願海大阿闍梨大行満によって尊勝曼陀羅及び当歓喜天に一百日間浴油の大法を厳修して畏くも天皇平癒され、感激の二位局(明治天皇実母)が三尊の金の歓喜天を奉安。その一尊が当寺の御本尊として迎えられ、霊験あらたにして今日に至る。
又、本地仏としてある十一面観世音菩薩は、聖徳太子の御作にして徳川家光公の信仰厚く、牛込矢来の長安寺に安置せる所を宇賀神實海大僧正が蠣殻町の大福生寺に勧請し、その当時から本尊大聖歓喜天、本地仏十一面観世音菩薩として祀られておりました。その後明治25年5月に現在の地に移転、三宝山神護院大福生寺と新寺号公称。脇仏である聖観音は品川区文化財保護委員の鑑定で平安時代初期のものとされ今日に至る。昭和20年5月太平洋戦争大空襲で寺を全焼し、第五世藤本真靖大僧正の代で昭和25年本堂復興、昭和58年10月護摩堂を建立する。
毎月1週間 | 歓喜天浴油秘法 |
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毎月16日 | 歓喜天ご縁日 |
毎月28日 | 不動護摩供 |
2月3日 | 節分会星祭 |
5月1日 | 大般若転読会 |
11月1日 | 百味供養会 |